かまぼこ博士のかまぼこ百科
「かまぼこ博士のかまぼこ百科」は、舞鶴かまぼこ協同組合の辻義雄専務理事(舞鶴市民から「かまぼこ博士」と呼ばれています。)が執筆され、2011年から約4年間にわたり、舞鶴市民新聞に連載されたものです。かまぼこ、とりわけ舞鶴かまぼこへの愛に満ちた「かまぼこ博士のかまぼこ百科①~㊺」を順次掲載します。読めばあなたも「かまぼこ博士」。そして、舞鶴かまぼこがとても食べたくなってしまうでしょう。
なお、当コラムに掲載するにあたっては原文のままとし、日時や役職、社名等も当時のままとしています。また、今では存在しないメーカー、商品もありますのがご了承ください。
海外かまぼこ事情 韓国編③
李氏は、日本には3度(福岡、宇部、東京?) 来ており、Y社にも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。私はY社の機械カタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。
車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつてかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。
N氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。
しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、 レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加し ていったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。
中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私は仁川空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。
工場から、ホテルまで運ばれ、ここにいったん大きな荷物を置いたあと、いよい よT社の工場に向かうことになった。工場へ行くまでの道は、セントラルパークのような美しい公園の池のまわりを回っている道路(休日には外国から来た人であふれる観光地らしい)を通って、わざわざ遠回りして、工場まで連れていってもらった。
公園近くの道を抜けると、また幹線道路に出て、工場までの道はまた、広々としてきた。ここソウル近郊の道路は非常に広くゆったりと作ってあるので、道路はみな高速道路に思えてしまうくらいであった。また、行き交う自動車も、日本車こそ少ないものの、その大きさや形態は日本車と似ているため、車が右側を走ることに違和感こそ感じたが、それ以外はまるで日本のハイウエーを走っているのと同じであった。
相変わらず車の中で、案内人の李さんは中塚氏といろいろとコミュニケーションを繰り返して、気心が合ったようで、笑顔で語り合うまでになっていた。
しかも、工場に着いて、目の前にそびえたっている五階建ての巨大なビルが、その工場だとわかったとたん、軽いめまいがした。「こんな大規模な工場にこれから入り込んで、私は彼らにどんな指導ができるのだろうか?」という不安と、おそらく主力になっているかもしれないカニ足ラインについての詳細なノウハウを持ち合わせていないことの不安が重なり、中塚氏の笑顔をよそにどんどんと顔がこわばってくるのを感じた。