うおづるくん 舞鶴のさかな 一般社団法人舞鶴市水産協会

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カテゴリー: コラム

投稿日/2021年1月18日

日本海の魚の多様性

【日本海のさかなの話  最新の魚類学研究から】その①

日本海のさかなの多様性

今回より連載をすることになりました京都大学フィールド科学教育研究センター舞鶴水産実験所の甲斐と申します。よろしくお願いいたします。

私の専門は魚類の系統学と分類学。簡単に言いますと、この地球上には何種類くらいの魚がいるのか? そしてどうやってたくさんの種類の魚が進化したのか? ということの研究・教育を行っています(図1:調査航海に参加中の筆者)。この連載では、最新の研究を通じて分かってきたことをこぼれ話も交えてわかりやすく説明していきたいと考えています。

【図1】

 さて、私がこの舞鶴にある京都大学の水産実験所に赴任したのは2004年の春のことです。それまで、いろいろな場所で魚の研究のため、調査に参加したり、観察したりしてきました。例えば、高知県の足摺岬の近くや、和歌山県の潮岬、それから東シナ海など・・・。幸運なことに、かなりの種数の魚に出会う機会に恵まれていたと思います。しかし、日本海側では調査の機会がなく、あまり日本海の魚については知る機会がありませんでした。そこで、舞鶴に赴任してからさっそく、どんな魚が捕れているのかと舞鶴の漁連に見学に行きました。

私が今まで調査したことのある高知県や和歌山県南部は、黒潮の影響がとても強い地域です。これらの場所で魚を見ていると、「派手な魚が多い」と感じます。とにかくカラフルな魚が多く、銀色の魚に混じって、鮮やかな赤や青、黄色の魚が捕れています。これに比べると、初めて日本海の魚を見たときの印象は、残念ながらちょっと「地味な魚が多い」と感じました。あまり鮮やかな赤や黄色の魚は見られません。このため、一見種数は少なく見えます。実は多くの魚類学者もそう思っていたようで、日本海は「魚の種類が少ないから」などと言われて、あまり注目されてきませんでした。実際、太平洋側に比べると、日本海で魚の種類数(=多様性)を調べた研究というのはとても少ないのです。しかし、あまり調べられていないというのは、逆に言うといろいろな研究の「ネタ」が隠されているのかもしれません。

ある地域にどのような魚が分布するかを調べることを「魚類相(ぎょるいそう)を調べる」と言います。そこで、日本海の魚類相をきちんと調べるため、2004年以来、舞鶴を中心に魚市場にあがる魚を調査したり、いろいろな調査船にお願いして乗船させてもらい、とにかく日本海の魚を採集して調べてみることにしました。

さて、いろいろな方にご協力いただいたおかげもあり、標本採集は順調に進んでいます(現在も進行中ですので、珍しい魚を見かけられたら是非ご一報を・・・)。現在までの記録をまとめてみると、舞鶴を含む日本海の南西部には約800種、日本海全体で見ると約1000種もの魚が住んでいることが分かりました。800種や1000種と言ってもピンとこないかもしれません。日本に分布する魚は、淡水魚も併せて約4000種と言われています。つまり、日本に生息する約五分の一の魚が舞鶴周辺を含む日本海南西部で見ることができ、四分の一の魚が日本海に分布すると言うことになります。「日本海は魚の種類が少ない」と言われていたのですが、きちんと調べてみると、実は結構な種類の魚がいると言うことになります。

ちなみに日本に生息する4000種と言う数は、オーストラリアに分布する魚の種数とほぼ同じと言われています。ご存じの通りオートラリアの陸地は日本の何倍もありますが、海岸線の長さで見ると日本とほぼ同じです。そう考えると、日本に分布する魚の種数とオーストラリアに分布する魚の種数がほぼ同じというのは何となくわかりやすいと思います。あの広大なイメージがあるオーストラリアと同じくらいの種数が見られる日本は実に魚に恵まれた場所なのです。

さて、今年で日本海の魚類相調査を始めて丸6年がたったわけですが、このようにデータを整理してみると大小いろいろな発見がありました。一つの大きな発見は、「ニホンキンカジカ」という体長10cmほどの新種のカジカの仲間を発表したことです(図2:2009年に新種として発表されたニホンキンカジカ)。

【図2】

 「新種」というと、珍しくて普段なかなか目にすることができないのではないか、と思われがちです。しかし、必ずしもそうとは限りません。特にニホンキンカジカの場合、底曳網で取れるキアンコウやミズダコに混じって捕れていることが多く、決して「珍しい」魚ではありません。水深150m〜200mくらいのところでごく普通に見られます。実は、近縁種の「キンカジカ」とよく似ているために混同されていただけなのです。

従来、「キンカジカ」と言われていた魚は、島根県以北の日本海と東北太平洋に分布するとされてきました。しかし、東北太平洋の「キンカジカ」と日本海の「キンカジカ」を比べると、いくつか形態に違いがあることがわかりました。東北太平洋の「キンカジカ」は雄の背鰭が長く伸びるのですが、日本海の「キンカジカ」は雄の背鰭は長く伸びません。形態の違いだけではありません。遺伝子も調べると、東北太平洋と日本海の「キンカジカ」はそれぞれ明瞭に異なっていることが分かりました。つまり、両者は別種の関係にあると判断できます。さらに分類学的に調査を進めていくと、東北太平洋のものを本来のキンカジカと呼ぶべきで、日本海の「キンカジカ」には名前がない、つまり新種であることが分かったのです。そこで新しい和名としてニホンキンカジカを提唱しました。

ここで、少し日本海の特徴について説明しておきたいと思います。世界地図を開いて日本海を見ると、日本海は大陸と日本列島に囲まれていて、大きな湖のように見えます。日本海は、四つの狭く浅い海峡で太平洋とつながっているだけで、とても閉鎖的な海と言えます。これらの海峡は深くても一五〇m程度。つまり日本海の一五〇mより深いところにすむ魚は、極端に言ってしまえば太平洋から「孤立」していることになります。ニホンキンカジカもやや深い海に住む魚です。ひょっとすると、日本海の深い海に生息する魚には、太平洋から孤立して独自に進化してきたものが含まれている可能性があります。実際、日本海の深いところには、日本海にしか見られない「固有種」も多く見られることが知られています。日本海の固有種は「いつ、どこから来たか?」興味は尽きません。遺伝子に残された情報をうまく利用すれば、こういったことも明らかになる可能性が高いのです。

私たちには、ものすごく身近な日本海ですが、こうして見ると、ちょっと学術的に面白い海であることがわかってきました。日本海には、まだまだ名前の付いていない新種の魚もいますし、研究の「ネタ」が多く隠されていそうです(図3:まだ名前の付いていないゲンゲの仲間、日本海南西部から採集)。

【図3】

今後もいろいろな魚を採集していって、日本海の魚の「謎」を明らかにしていきたいところです。

これからも日本海の魚を中心に、旬の面白い話を最新の研究結果とともにお届けしていきたいと考えています。よろしくお願いいたします。

京都府漁協だより 平成22年10月4日発行 より転載

投稿日/2020年11月5日

かまぼこの日 かまぼこ百科②

かまぼこ博士のかまぼこ百科


「かまぼこ博士のかまぼこ百科」は、舞鶴かまぼこ協同組合の辻義雄専務理事(舞鶴市民から「かまぼこと博士」呼ばれています。)が執筆され、2011年から約4年間にわたり、舞鶴市民新聞に連載されたものです。かまぼこ、とりわけ舞鶴かまぼこへの愛に満ちた「かまぼこ博士のかまぼこ百科①~㊺」を順次、21回に分けて掲載します。読めばあなたも「かまぼこ博士」。そして、舞鶴かまぼこがとても食べたくなってしまいます。
なお、当コラムに掲載するにあたっては原文のままとし、日時や役職、社名等も当時のままとしています。また、今では存在しないメーカー、商品もありますのでご了承ください。

かまぼこの日 かまぼこ百科②

かまぼこが文献にはじめて登場したのが、西暦1115年であることにちなんで、業界では11月15日を“かまぼこの日”と決めていることを読者の皆様はご存知であろうか?

かまぼこの日のイベントとして、2年前から『舞鶴かまぼこ板に絵と文字大賞』というイベントを企画し、昨年末は第二回目のイベントを実施している。
テーマを決めて、かまぼこ板1枚に、絵と文字で自分の世界を表現していただくことにしている。 テーマは毎年、変えてきており、第1回のテーマは「愛」とし、第2回目は「ありがとう」とした。

ありがたいことに、当初より、舞鶴市を中心とした近隣市町村地域の幼時からお年寄りまで、たくさんの応募をいただいた。
応募要領については、ホームページや新聞報道などに、逐次詳しく掲載させていただいているが、これからも応募点数はどんどん増えていくだろう。

今年も、1月中旬から2月にかけて、約1ヶ月間にわたり応募していただいたすべての作品をJR西舞鶴駅にできた「舞鶴観光ステーション」にて展示させていただき、西舞鶴駅利用者の皆様方にご覧いただき、帰りにはその場でかまぼこをはじめとする舞鶴の土産品や記念品をお買い求めいただいた。

さて、舞鶴は地図でみると、一見、北側に海をたたえた海のゆたかな地形をしているが、実際に舞鶴に足を運んだ人からは、三方が山に囲まれている地形であるため、舞鶴市内にはいってもなかなか海が見えず、海というイメージがわかないと言われることが多い。
魚を扱う側で仕事している私としては、地元で獲れる魚は確かに新鮮で美味しいと思っているが、他所から来られたお客様をもてなす際には、多くの安価な店では特別美味しいと思うような魚を出す店が意外に少ないと人から言われることがある。
当然なのかもしれないが、お客も自分も納得するような魚料理を食べようとすると、そこそこ高級なお店にいかざるを得ないというのが舞鶴の現状ではないだろうか。
地元のマツバカニやトリガイなどの高級品に至っては、舞鶴の特産品といっても、なかなか一般の市民が口にできるものではない。 そのような中では、舞鶴のかまぼこは、若干、高価であるものも多いようだが、手が届かないほどでもなく、年中、地元の鮮魚や近海の魚を豊富に使用して製品作りをしているために、魚本来の味がし、地元流通を中心としているので不要な添加物も使われておらず、舞鶴市内ではほとんどの小売店(スーパーなど)の食料品売り場、お土産売り場に置いてあるので、買いやすい食品になっているのではないだろうかと贔屓目で見てしまう。
反面、人様からはよく、もう少し相手に差し上げるのなら、差し上げるようなスタイルや相手の心を打つしかけが商品にもっと必要なのではないかと叱咤されることも多く、まだまだ研究の余地があり、業界人としても、品質にあぐらをかいている場合ではないという警鐘と受け止めている。

投稿日/2020年8月25日

舞鶴かまぼこの発祥と歴史 かまぼこ百科①

かまぼこ博士のかまぼこ百科


「かまぼこ博士のかまぼこ百科」は、舞鶴かまぼこ協同組合の辻義雄専務理事(舞鶴市民から「かまぼこと博士」呼ばれています。)が執筆され、2011年から約4年間にわたり、舞鶴市民新聞に連載されたものです。かまぼこ、とりわけ舞鶴かまぼこへの愛に満ちた「かまぼこ博士のかまぼこ百科①~㊺」を順次、21回に分けて掲載します。読めばあなたも「かまぼこ博士」。そして、舞鶴かまぼこがとても食べたくなってしまいます。
なお、当コラムに掲載するにあたっては原文のままとし、日時や役職、社名等も当時のままとしています。また、今では存在しないメーカー、商品もありますのでご了承ください。

舞鶴かまぼこの発祥と歴史 かまぼこ百科①

関が原の合戦前のこと、忠興出兵の留守をあずかっていた幽斉が舞鶴城でわずか500名程度で、石田三成方の軍勢15000人に対して篭城戦を開始した。

普通に考えれば、舞鶴城がいかに難攻不落の城でもあったとしても、多勢に無勢の状態で勝負は時間の問題だったと思われるが、篭城を知った八条宮親王が古今伝授(古今和歌集の極意を伝える)の役目をもっていた幽斉を救ってほしいと後陽成天皇に嘆願したため、天皇から和議救済の使者が何度も送りつけられ、最初は固辞していた幽斉も、やがて天皇の意を汲んで城を明け渡すことを決めたのであった。

田辺城篭城戦が起きると、吉原の漁師さんたちは、食糧搬入に手柄をたてたので、あとで、細川幽斉さんから褒美として「浪打際三間 勝手次第たるべし」(波打ち際の数メートルの土地は、仕事に好きなように使ってもよろしい)と漁業独占のお墨付きをいただいたと伝えられている。

地元の歴史に詳しい加藤晃先生によると、吉原町はそのころ、国道175号線北側の海際にあったらしく、京極時代になって、若狭街道が掘を渡る橋は「魚棚橋」(後に伊織土橋)と呼ばれていたそうである。

今も国道27号線京都銀行の南あたりは魚屋町だが、細川時代から魚屋さんたちは吉原町の続きのそこに住んで生魚を売るだけではなく、干したり、焼いたり加工しての販売に精を出してたようである。

そうした産業が盛んになるにつれ魚屋町は、海を埋め立て静渓川まで広げられていったということである。

現在のような板についたかまぼこは天正年間(1573~1592)につくられ始め、江戸時代に入ると蒸して作る様になり、さらに表面を焼いて日持ちをよくするなどの工夫がされるようになったというが、舞鶴でも豊富な日本海の魚を使ってかまぼこが作られ、髙作(代表 高野真一氏)のように、文政年間(1818年~1830年)に創業したかまぼこ屋さんが、今も残っており、伝統の製法で舞鶴かまぼこを作り続けている。

「舞鶴かまぼこ知ろう館」では、原料のお魚のすりみを煉る石うすや、大正時代に使われていたかまぼこの小道具を展示しているが、それ以前のものについては、主産地であった吉原地区が二度の大火と台風などにより壊滅的な打撃を受けたことにより、残念ながら、ほとんど残っていない。

江戸時代から創業しているかまぼこ屋さんには、当時、お城へ収めるかまぼこの添え書き(現在の納品書のようなもの)が残っていたらしいが、これも何回か工場を建て替える際に紛失してしまっている。

当時、舞鶴かまぼこの青年会(青葉会)で、当時、城へ献上したかまぼこを再現する取組みをおこなったことがある。昔はこのように鮮やかな色素はなかったと思うが、植物などの汁で色をつけていたと考えられている。 いずれにしても、昔から、かまぼこはおめでたい出来事の時のハレの食べ物で、当時は、かなり高級な食べものであったようである

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