うおづるくん 舞鶴のさかな 一般社団法人舞鶴市水産協会

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カテゴリー: コラム

投稿日/2020年11月5日

かまぼこの日 かまぼこ百科②

かまぼこ博士のかまぼこ百科


「かまぼこ博士のかまぼこ百科」は、舞鶴かまぼこ協同組合の辻義雄専務理事(舞鶴市民から「かまぼこと博士」呼ばれています。)が執筆され、2011年から約4年間にわたり、舞鶴市民新聞に連載されたものです。かまぼこ、とりわけ舞鶴かまぼこへの愛に満ちた「かまぼこ博士のかまぼこ百科①~㊺」を順次、21回に分けて掲載します。読めばあなたも「かまぼこ博士」。そして、舞鶴かまぼこがとても食べたくなってしまいます。
なお、当コラムに掲載するにあたっては原文のままとし、日時や役職、社名等も当時のままとしています。また、今では存在しないメーカー、商品もありますのでご了承ください。

かまぼこの日 かまぼこ百科②

かまぼこが文献にはじめて登場したのが、西暦1115年であることにちなんで、業界では11月15日を“かまぼこの日”と決めていることを読者の皆様はご存知であろうか?

かまぼこの日のイベントとして、2年前から『舞鶴かまぼこ板に絵と文字大賞』というイベントを企画し、昨年末は第二回目のイベントを実施している。
テーマを決めて、かまぼこ板1枚に、絵と文字で自分の世界を表現していただくことにしている。 テーマは毎年、変えてきており、第1回のテーマは「愛」とし、第2回目は「ありがとう」とした。

ありがたいことに、当初より、舞鶴市を中心とした近隣市町村地域の幼時からお年寄りまで、たくさんの応募をいただいた。
応募要領については、ホームページや新聞報道などに、逐次詳しく掲載させていただいているが、これからも応募点数はどんどん増えていくだろう。

今年も、1月中旬から2月にかけて、約1ヶ月間にわたり応募していただいたすべての作品をJR西舞鶴駅にできた「舞鶴観光ステーション」にて展示させていただき、西舞鶴駅利用者の皆様方にご覧いただき、帰りにはその場でかまぼこをはじめとする舞鶴の土産品や記念品をお買い求めいただいた。

さて、舞鶴は地図でみると、一見、北側に海をたたえた海のゆたかな地形をしているが、実際に舞鶴に足を運んだ人からは、三方が山に囲まれている地形であるため、舞鶴市内にはいってもなかなか海が見えず、海というイメージがわかないと言われることが多い。
魚を扱う側で仕事している私としては、地元で獲れる魚は確かに新鮮で美味しいと思っているが、他所から来られたお客様をもてなす際には、多くの安価な店では特別美味しいと思うような魚を出す店が意外に少ないと人から言われることがある。
当然なのかもしれないが、お客も自分も納得するような魚料理を食べようとすると、そこそこ高級なお店にいかざるを得ないというのが舞鶴の現状ではないだろうか。
地元のマツバカニやトリガイなどの高級品に至っては、舞鶴の特産品といっても、なかなか一般の市民が口にできるものではない。 そのような中では、舞鶴のかまぼこは、若干、高価であるものも多いようだが、手が届かないほどでもなく、年中、地元の鮮魚や近海の魚を豊富に使用して製品作りをしているために、魚本来の味がし、地元流通を中心としているので不要な添加物も使われておらず、舞鶴市内ではほとんどの小売店(スーパーなど)の食料品売り場、お土産売り場に置いてあるので、買いやすい食品になっているのではないだろうかと贔屓目で見てしまう。
反面、人様からはよく、もう少し相手に差し上げるのなら、差し上げるようなスタイルや相手の心を打つしかけが商品にもっと必要なのではないかと叱咤されることも多く、まだまだ研究の余地があり、業界人としても、品質にあぐらをかいている場合ではないという警鐘と受け止めている。

投稿日/2020年8月25日

舞鶴かまぼこの発祥と歴史 かまぼこ百科①

かまぼこ博士のかまぼこ百科


「かまぼこ博士のかまぼこ百科」は、舞鶴かまぼこ協同組合の辻義雄専務理事(舞鶴市民から「かまぼこと博士」呼ばれています。)が執筆され、2011年から約4年間にわたり、舞鶴市民新聞に連載されたものです。かまぼこ、とりわけ舞鶴かまぼこへの愛に満ちた「かまぼこ博士のかまぼこ百科①~㊺」を順次、21回に分けて掲載します。読めばあなたも「かまぼこ博士」。そして、舞鶴かまぼこがとても食べたくなってしまいます。
なお、当コラムに掲載するにあたっては原文のままとし、日時や役職、社名等も当時のままとしています。また、今では存在しないメーカー、商品もありますのでご了承ください。

舞鶴かまぼこの発祥と歴史 かまぼこ百科①

関が原の合戦前のこと、忠興出兵の留守をあずかっていた幽斉が舞鶴城でわずか500名程度で、石田三成方の軍勢15000人に対して篭城戦を開始した。

普通に考えれば、舞鶴城がいかに難攻不落の城でもあったとしても、多勢に無勢の状態で勝負は時間の問題だったと思われるが、篭城を知った八条宮親王が古今伝授(古今和歌集の極意を伝える)の役目をもっていた幽斉を救ってほしいと後陽成天皇に嘆願したため、天皇から和議救済の使者が何度も送りつけられ、最初は固辞していた幽斉も、やがて天皇の意を汲んで城を明け渡すことを決めたのであった。

田辺城篭城戦が起きると、吉原の漁師さんたちは、食糧搬入に手柄をたてたので、あとで、細川幽斉さんから褒美として「浪打際三間 勝手次第たるべし」(波打ち際の数メートルの土地は、仕事に好きなように使ってもよろしい)と漁業独占のお墨付きをいただいたと伝えられている。

地元の歴史に詳しい加藤晃先生によると、吉原町はそのころ、国道175号線北側の海際にあったらしく、京極時代になって、若狭街道が掘を渡る橋は「魚棚橋」(後に伊織土橋)と呼ばれていたそうである。

今も国道27号線京都銀行の南あたりは魚屋町だが、細川時代から魚屋さんたちは吉原町の続きのそこに住んで生魚を売るだけではなく、干したり、焼いたり加工しての販売に精を出してたようである。

そうした産業が盛んになるにつれ魚屋町は、海を埋め立て静渓川まで広げられていったということである。

現在のような板についたかまぼこは天正年間(1573~1592)につくられ始め、江戸時代に入ると蒸して作る様になり、さらに表面を焼いて日持ちをよくするなどの工夫がされるようになったというが、舞鶴でも豊富な日本海の魚を使ってかまぼこが作られ、髙作(代表 高野真一氏)のように、文政年間(1818年~1830年)に創業したかまぼこ屋さんが、今も残っており、伝統の製法で舞鶴かまぼこを作り続けている。

「舞鶴かまぼこ知ろう館」では、原料のお魚のすりみを煉る石うすや、大正時代に使われていたかまぼこの小道具を展示しているが、それ以前のものについては、主産地であった吉原地区が二度の大火と台風などにより壊滅的な打撃を受けたことにより、残念ながら、ほとんど残っていない。

江戸時代から創業しているかまぼこ屋さんには、当時、お城へ収めるかまぼこの添え書き(現在の納品書のようなもの)が残っていたらしいが、これも何回か工場を建て替える際に紛失してしまっている。

当時、舞鶴かまぼこの青年会(青葉会)で、当時、城へ献上したかまぼこを再現する取組みをおこなったことがある。昔はこのように鮮やかな色素はなかったと思うが、植物などの汁で色をつけていたと考えられている。 いずれにしても、昔から、かまぼこはおめでたい出来事の時のハレの食べ物で、当時は、かなり高級な食べものであったようである

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